三位一体の主日 A年
今日は「三位一体の神」の祝日です。キリスト教の基本は、「三位一体」の教えです。聖書の教えでは、神は「唯一の神」ですが、同時に「父と子と聖霊」です。しかし、この二つの教えはどのように合うかについては説明がありません。アリウスが「神の子」は「父」に等しくないと教えたとき、ニケーアの公会議(325年)は、神は唯一でありながら、「父、子、聖霊」の三つの「同等の方=ペルソナ」であることを宣言しました。聖アウグスチヌスは、『三位一体論』の中で、神は人間には知りつくせないが、この世には神の理解を助ける手がかりがあることを強調しました。たとえば、人間の魂は一つではありますが、「記憶、知性、意志」の三面をもち、また「考え、愛、認識」であると言っています。それにしても、神は人間にとっていつまでも「奥義」「ミステリー」です。
「三位一体の神」について説明するときに、「ココナッツの実」を思い出します。「ココナッツ」には、「ココナッツファイバー・ココナッツ殻・ココナッツの肉」から成り立っています。ファイバーだけだったらココナッツではありません。殻だけだったらココナッツでもありません。肉の部分だけだったらココナッツではありません。「ファイバー・殻・肉」三つも揃えば「ココナッツ」と言えるのではないでしょうか。それにしても、神は人間にとっていつまでも「奥義」「ミステリー」です。
「三位一体の神」について説明するときに、共同体ということを思い出します。共同体を意味する外国語としてすぐに思い浮かぶのは、英語の「コミュニティー」だと思います。この「コミュニティー」はラテン語の「コムニタス」に由来しています。
「コム二タス」は、「共有」や「共同」を意味する名詞ですが、さらに分析してみると、「コム」と「ムヌス」という部分からできています。「コム」は「~を共にする」という意味です。また、「ムヌス」はさまざまな意味がありますが、教会の中では「任務」「職務」などの意味で用いられることの多いことばです。
このように考えると、「コム二タス」とは、人々がお互いの能力や力を共にすること、お互いが自分に委ねられた「務め」「役割」「責任」を果たすこと、一人ひとりが提供できることをお互いに交換し合っていくことを意味していると思います。つまり、「共同体」とは、人々が互いに支え合い、協力しながら生きていいくときに成り立つもの、と言って良いのではないでしょうか。言い換えれば、「共同体」とは、支え合う人々の集まりではないでしょうか。まさに、それは「三位一体」にぴったり合う一つの説明ではないでしょうか。三位一体は一つの共同体です。
「父」(神)は天地万物を創造し、世界を維持する存在です。「子」(イエス・キリスト)は人間として現れた神のみ言葉であり、人々を罪から救う存在です。「聖霊」は目に見えない形で信じる人々の内に働く神の力、神の恵みを実現する存在です。それぞれ異なる役割を持ちながらも、本質は一つ(同じ神)であるとされています。言い換えれば、「一つの神」が三つの顔(姿)を持っています。創造主としての「父」、救い主としての「子」、心に働きかける「聖霊」です。それにしても、神は人間にとっていつまでも「奥義」「ミステリー」です。