top of page
< Back

年間第12主日  A年

ある日、一人の子どもが父親に 「わたしはどうすれば苦労を乗り越えて喜ぶの」と尋ねました。「岸にしかない船はもう既に安全ですが、それは船が作られる目的ではない」と父親は優しく答えました。
「嵐はいつもそこにある」という事実を父親は
子どもに言おうとしています。
わたしたちが人生の広大な海に足を踏み出そうと決心するとき、嵐はすでにそこにあるはずです。人生の嵐は、わたしたちを傷つけることを意図したものではありません。どんな人生の嵐によってでも、わたしたちはより尊厳のある生活レベルに引き上げられます。わたしたちは、人生の嵐に翻弄されるときに、神の愛があますことなく光り輝いているのではないでしょうか。神はしばしば、非常に不愉快な状況を整えることによって、わたしたちへの愛を示します。
わたしたちが毎日文句を言っている生活は、一部の人にとっては夢かもしれません。人間の苦しみの源は、貪欲な欲望です。欲しいものが手に入らなければ、苦しむことになります。しかし、もしわたしたちがそれを手に入れたなら、わたしたちもまた失うことを恐れて苦しみます。苦しみは、わたしたちをより良い人間にするための神の方法です。苦しみを内面的に受け入れる人は誰でも、より成熟し、他者の悲しみを理解し、神の心にかなった生き方をし、より人間的になります。苦しみは教訓です。
カトリック恵方町教会は健堂されてから今年95周年を迎えました。この小教区は母親に例えて考えて見ましょう。母親が年老いても美しいのは、子どもたちに何かを与え続けているからです。母親の心は与える、与える、与えることです。ですから、母親は年老いても美しい。
この小教区はここにいるわたしたちのために多くのよいことを与え続けてきました。これからも相変わらずわたしたちに与え続けるでしょう。
さて、わたしたちはこの小教区のために何を捧げることができるでしょうか。この小教区はわたしたちに何も期待していませんが、この小教区はわたしたちの「故郷」や「帰り場所」であることを忘れないで下さい。困っているなら、出口のない人生に翻弄されているなら、人生の旅路に疲れた時、誰からも必要とされないと感じているなら、来て一秒でもこの聖堂で過ごして下さい。教会の戸は、いつでもわたしたちのために開いたままであることを忘れないでいて欲しい。この小教区は人生の熱気の慰めです。
「恐れるな」と
今日の福音書に書かれています。
神はいつも青空を与え、いつも美しい花を咲かせて下さる訳ではありません。いつも太陽を明るく輝かせると、神が一切約束されたことは決してないのです。だが、嵐の後、神はカモメたちを飛び交わすように、雨の後、美しい虹を輝かせて下さるように、わたしたちの涙に微笑を、わたしたちの絶望に希望を与えられ、わたしたちの願いに耳を傾けて下さることを忘れずにこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。

2026 Catholic Ehocho

bottom of page