年間第27主日 A年
今日の福音朗読は、本来の持ち主である神に返さず悪い農夫たちのたとえ話であり、感謝の気持ちを知らない人々の話です。
「エッファッタ」はギリシャ語で 「開け」 という意味です。わたしたちは日頃何事に「開け」と言うか皆それぞれですが、「最終的には皆同様である」ということを共に考えていきたいと思います。
(50代) 美しい顔か醜い顔か、皆同様です。この年齢になると、誰からも見向きもされないからです。(60代) 学位のある人も無学位の人も、高い地位の人も低い地位の人も、身分の高い人も身分の低い人も皆同様です。退職後、上司または部下という呼び方はもう当てはまらないからです。(70代) 大きい家と小さい家は同様です。活力がなく、腰掛けるための小さなスペースだけあれば十分だからです。(80代) お金を持っていることとお金を持っていないことは同様です。その時、お金でおいしいものを買うことはもはやできないのです。遠くへ旅することもできないからです。(90代) 寝ることも目が覚めることも同様です。起きた後、どうしたらよいか分からないからです。
死を迎えた時皆同様です。わたしたちは葬られ、悲しんで泣いてくれます。しかし、その後は皆に忘れられます。皆それぞれ、自分の生活の問題で頭がいっぱいだからです。ですから、生きている間に、持っているものを誇りに思ってはいけないのです。すべてが同じように終わるからです。
過去を振り向けば、人生は遥かに短くはかないものです。朝露のようなものです。朝に光り輝いて、昼間の風に吹かれて消えてしまいます。お金を手に入れるために一生懸命に働くことは当然です。しかし、身近な人々、特に「家族や友人や大切な人」などと過ごす時間を増やすことも忘れないで下さい。
ぶどう園の持ち主の忍耐は、神の忍耐を示しています。しかし、神はどれだけ忍耐強くても、限界があることを忘れないでください。神はわたしたちに、本来神のものを返すように求めます。
収穫の季節はもうすぐかもしれません。本当の持ち主である神に収穫を返すことができる農夫になりましょう。他者のものを尊重することは、心の成熟の証です。わたしたちのものはわたしたちのものであり、わたしたちのものでないものは、無理に手に入れようとしても決してわたしたちのものにはなりません。物はいつも持ち主を捜し求めるという真実を意識しながらこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。