年間第20主日 A年
今日の福音書は、イエスの非常に冷たい言動に驚かされます。悪霊にとりつかれた娘を持つ母親が、その苦しみを訴えても「イエスは一言もお答えにならなかった」とあります。
この物語の大切なポイントは二つあると思います。一つは「神様に委ねること」です。自分の力で生きていると思っている時、わたしたちは恐らく人生の本質の半分も分かっていません。しかし、人に助けられ、支えられることで、人生は互いに助け合い、支え合うものであるということの意味が分かり、謙虚になれます。人を愛することも学びます。その中で、わたしたちの命というものが、神様に与えられたものであり、神様に支えられ、生かされているという恵みも、より深く感じるようになれます。
もちろん、わたしたちの人生には、自分で働くこと、自分で考えること、自分で努力することが必要です。しかし、自分の人生の土台を、自分の力だけではなく、神様の力に委ねて生きる者には、希望があり、慰めがあります。
もう一つの大切なポイントは、「母親の姿」についてです。母親は神様がわたしたちの人生に託した最初の愛です。母親の笑顔の裏には強さがあり、母親の祈りの裏には奇跡があります。母親はただわたしたちを産んだだけではなく、無償の愛、限りない忍耐、見返りを求めない犠牲の意味を教えてくれます。母親の誠実さは、暗い人生の中の灯りです。母親の愛は、わたしたちを夢へと導く翼です。母親は最初の家であり、最初の先生であり、最初の愛です。母親の愛は奇跡であり、寒い日でもわたしたちの心を温かく保ってくれます。世界が遠く感じるときでも、母親はいつも戻れる一番近い港です。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」とイエスは言われました。もしイエスはわたしたち一人ひとりの信仰生活に目を留めるならば、イエスは何とおっしゃるのでしょうか。
信仰は人間の顔の美しさと似ています。人間の顔の美しさは急にできたものではなくて、日常生活の中で育っていくものです。信仰も同じです。急にできたものではなくて、日々の生活の中でできたものです。
今日の福音の中で登場されたあの母親の信仰は、イエスにお願いが断られたかのように見えたときに、ますます強くなったのです。
神様はわたしたちの願いを断るわけではなく、神様はただわたしたちが願っていることが本当に人生に必要なものかどうかを確かめたいだけではないでしょうか。
イエスはあの母親の願いが本当に娘に必要だと知ったとき、それをかなえてくれたのです。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされました。
あの母親の信仰は、娘の人生の困難という山を動かしたのです。信仰は、どんな出来事の裏にも神様の善を見つける目です。
ここにいるわたしたちが、神様に何かを求めている時、本当にその願いは人生に必要なのか」と考えながらこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。