top of page
< Back

年間第23主日 A年

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」と今日の福音書の中で書かれています。この聖書箇所は、教会の本来の姿を示しています。教会は「場所」や「建物」ではなく、「人々の集まり」です。ただの集まりではなく、神のための集いなのです。神が関わる集まりです。さて、今の集まりは、わたしたちの注目は神に向いているでしょうか。わたしたちのすべての霊的な活動で、神はわたしたちの注目の中心になっているでしょうか。神のいない集まりは、集まりではなく、ただの群れです。
教会の姿について、「わたしはミサが始まるまでの教会の静けさがとても大好きで、どの式典よりも遥かに尊いです。教会は、誰かがわたしに話しかけてきても、わたしが答える必要のない唯一の場所です」と一人の仲間に言われたことがあります。初めて教会に訪れた方は、「ミサ」ではなくて、「ミサ」までの教会の雰囲気です。ですから、「ミサ」までの教会の中の静けさが非常に大切で、わたしたちはその雰囲気を守らないといけないのです。

誰もが精神的な安らぎを求めて教会に訪れています。もし教会でそれを見つけられなかったら、教会に来る意味がありません。ですから、教会での静けさを守るということは、彼らが心の平穏を見つけるための助け手となっています。忍耐、努力、粘り強さ、わたしたちに質の高い教会を持たせ、神の国を地上に広めることにつながる価値観です。わたしたちは世界と一緒に動く教会ではなく、世界を動かす教会を望んでいます。教会の外にいる人々は、わたしたちが違う生き方をすることを期待していますが、今では教会の多くの人々が世の中を追い求めています。彼らを勝ち取るためではなく、彼らのようになるのです。
教会について、聖ヨハネ・クリソストモは、次のように言っています。「教会はあなたの希望です。教会はあなたの救いです。教会は空よりも高いです。教会は石よりも硬いです。教会は世界よりも広いです。教会は決して古くならず、常に自らを更新します。なぜなら、教会はキリストの体だからです。」

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」と今日の福音書の中で書かれています。忠告するというのは、叱ること、教育することを意味します。人は注意を受ける時さまざまな態度を示しています。喜んで受け入れる人もいれば、普通に受け止める人もいます。話を早く進めるためだけに頷く人もいれば、はっきりと拒否する人もいて、他にもさまざまな反応があります。
人を注意するときに知っておくべきことは、憎しみではなく、愛情に基づいていることです。愛をもって注意される人は、その注意を受け入れやすくなり、その結果、変わる可能性も高くなります。
「本当の友は前で注意し、後ろで褒めます。楽しい時の友は簡単に見つかりますが、辛い時の友は探すのが難しい。愛情のない教会は、花のない庭のようなものです」と考えながらこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。

2026 Catholic Ehocho

bottom of page