年間第30主日 A年
「隣人を自分のように愛しなさい」と今日の福音書の中で書かれています。穏やかな池に石を投げ入れると、小さな波紋が見えます。その小さな波紋がだんだん大きな波紋へと広がっていきます。隣人への愛情も同じです。わたしたちは、目の前の人、周りの人、そして最も近い人に直接幸せや喜びを広めることを優先する必要があります。それは波紋のように広がっていきます。
「人類を愛するのは隣人を愛するよりも簡単だ」という皮肉な言葉があります。実際、わたしたちはしばしば大きなことに夢中になり過ぎて、小さなことを無視してしまいがちです。でも、実際には小さなことこそが現実的で、人の心に響くことです。
周りの人や身近な人を大切にしない人は、どんなに立派なことを叫んでも信用されるものではありません。ですから、「人のため」というときの「人」には、「皆」や「社会」などの大きなものを含む必要はないと思います。まずは家族、そして隣人です。そのように周りの人を喜ばせ、身近な人の役に立ち、彼らの笑顔を見ることです。そこから始めていけばいいのです。
他者への愛は平和への橋です。わたしたちは与えれば与えるほど、心は光で満たされます。与える手は受け取る手より温かいです。そして、受け取る手が与える手に変わると、その瞬間からその手は神の手になります。神の手は与える、与える、与えることだけです。わたしたちの手はどうでしょうか。
思いやりは、誰を知っているかだけでなく、出会うすべての魂にどう接するかにかかっています。 他者への愛は、翻訳を必要としない普遍的な言語で、心の誠実さだけが必要です。他者への愛はただの感情ではなく、お互いを尊重し合い、人間関係の絆を強める具体的な行動です。
一番美しくて神聖な宗教は愛情です。そして、この崇高な教えに従って生きるために、絶対にキリスト教徒でなければならないのでしょうか。仏教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、さらには無宗教の人でも、純粋な愛情をもって生きることができます。愛情のない宗教は、もはや宗教ではなく、ただの集まりです。
聖パウロは「たとえ、人間の不思議なことば、天使の不思議なことばを話しても、愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼、響くシンバル。たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じても、たとえ、山を移すほどの信仰があっても、愛がなければ、わたしは何ものでもない(一コリント13章1節~2節参照)」と言っています。「愛は最高の掟である」と聖パウロはわたしたちに言おうとしているのではないでしょうか。
神言修道会の初代宣教師である聖ヨセフ・フライナデメッツは「世界中の誰もが理解できる言語は愛である」と言っています。外国語をうまく話せなくても、愛があれば、伝えたいことは全て伝えることができると、この聖人はわたしたちに言おうとしているのではないでしょうか。
わたしたちは互いに離れるために生まれたのではなく、違う形で補い合うために生まれたのです。日頃から行う小さな善行が、暗い日々に大きな光になることもあります。他者を尊重することが平和な世界への第一歩であることを意識しながらこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。