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復活節第6主日 A年

帰宅中のある夜のことでした。神言会ハウスの敷地に入ろうとしたら、道の向こう側から「お兄さん、こんばんは」という小学生くらいの男の子の挨拶の声が聞こえました。「もう夜だよ、どこにいくの?」とわたしは少年に尋ねました。「教科書を学校に忘れてしまったので、今取りに行くところです」と少年は言いました。「一人で大丈夫?」と少年に聞きました。少年は首を横に振ったので、わたしは少年と一緒に学校まで行くことにしました。
わたしは「はじめまして、○○○です」と自己紹介しました。少年は「僕は○○○です」と元気な声で返事してくれました。
教科書を取ってから、少年の家に着くまでの二人での会話は、わたしにとって大変意味深い会話でした。「君は将来何になりたいの?」とわたしは少年に尋ねました。少年は「将来についてまだ考えていないが、親に恩返ししたいと思う」と答えました。「親に恩返ししたい理由は何?」と少年に聞きました。
「僕が○○○小学校に通い始めた時から、親は僕のために小学校の近くにある高価なマンションを購入して、卒業するまでそのマンションに住むことになったのです。僕自身は望んでもいないのに、親がそのようにしてくれたことは、僕にとって誰よりも親が僕のことを大切にしてくれているからだと思います。だから、親に恩返しするのは当然のことではないだろうか」と少年は語り始めました。少年がそう語った後、わたしたちは少年の住むマンションの門の前に着きました。
「親に恩返ししたいという気持ちを絶対に忘れないで欲しい」とわたしは少年に言って、少年をマンションの中に送り出しました。少年の姿が見えなくなるまで、わたしは門の前に立っていました。「このような立派な少年が、この地方にはまだ多く人いるだろうか」とわたしは考えながら修道院に戻ったのです。
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「孝はすべての根本である」と中江藤樹(1608~1648)はい言いました。ここでいう「孝」とは親孝行だけに限らないのです。すべての徳の根本であり、すべての人に及ぶ態度です。言い換えれば「孝」は普遍的な徳です。
中江藤樹のいう「孝」はキリスト教の愛「アガペー」に近いものです。キリスト教の愛「アガペー」はまさに「無償の愛」を意味します。神は「無償」でわたしたちに存在と人間としての在り方を与えて下ったのです。そして、今日の福音書の中でイエスが言われる「わたしは、あなた方を孤児にはしておかない。あなた方のところに戻ってくる。この世はわたしを見なくなるが、あなた方はわたしを見る」(ヨハネによる福音書14章18節参照)という教えは、実はこの聖書箇所を通して「神が無償で与えるように、わたしたちも日頃から同じようにしなさい」とイエスは言おうとしているのではないでしょうか。
「無償の愛」は決して珍しいものでも、無理なことでもないのです。子どもに対する親の愛も「無償の愛」であるし、すべての生き物も子孫に対して無償で与えています。「無償の愛」は生命の原則と言っても過言ではありません。
親孝行は遠い昔のものではなく、いつの時代も人間としての当然の生き方、人類の知恵です。
しかし、「孝行をしたい頃には親はなし」という諺もあります。親がまだ生きている間に孝行を忘れないで下さい。そうしなければ、永遠に後悔することになるでしょう。
あの夜、修道院の道の向こう側から声をかけてくれたあの少年は、親孝行をしているに違いないでしょう。わたしはそう信じています。わたしは今でも、あの少年のことを懐かしく思い出します。親への尊敬を表わすもっとも偉大な行為の一つは「親孝行」であるということではないでしょうか。

2026 Catholic Ehocho

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