復活節第3主日
今日の福音書は「エマオへの道/旅」であり、希望を失った弟子たちに主イエス・キリストが寄り添う場面として描かれています。「エマオへの道/旅」は、ここにいるわたしたち一人ひとりの人生という旅を表しています。
そもそも、旅自体が楽しいものだと考えられるのは近代以降のことで、それ以前は、旅は基本的に苦しいものでした。確かに、レストランやホテルや交通網が発展していない時代のことを考えると、旅がそれほど楽ではなかったことは想像できます。
日本の民俗学者である柳田国男(1875~1962)によると「旅」の語源は給べで、 他者に食を求めることです。つまり、十分な食料を持たずに行く先々で施しを受けるような苦しいものが元々の旅だったのです。意味深いことに、このことは西洋でも同じ意味であったのです。旅を意味する英語 (travel) は、フランス語の(travail)「骨折り」 「労働」「分娩の痛み」などの意味と同じく、ラテン語の(Trepalium)を語源としています。これはなんと拷問道具の一種だそうです。
旅について聖書は、もっと厳しいことを書かれています。「旅には何も持って行ってはならい」。「旅には何も持って行ってはならい」という聖書の言葉について考えられる意味は二つあります。一つは、神を信頼することです。もう一つは、他者を信頼して積極的な関わりを作ることです。
自分の力で生きていると思っている時、わたしたちは恐らく人生の本質の半分も分かっていません。しかし、人に助けられ、支えられることで、人生は互いに助け合い、支え合うものであるということの意味が分かり、謙虚になれます。人を愛することも学びます。その中で、わたしたちの命というものが、神に与えられたものであり、神に支えられ、生かされているという恵みも、より深く感じるようになれます。もちろん、わたしたちの人生には、自分で働くこと、自分で考えること、自分で努力することが必要です。しかし、自分の人生の土台を、自分の力だけではなく、神の力に委ねて生きる者には、希望があり、慰めがあります。端的に換言すれば、他力は自力の源であると言っても過言ではないのです。他者の存在は、自分自身を知るための鏡そのものです。
人生という旅の目標は人間になることです。誰でも、この世に生まれた時から「人間です」が、生まれたばかりの人は多くの面でまだ十分に「人間」になっていません。ただ、「多くの可能性を含んだ人間」に過ぎません。人生の旅を通してその可能性を実現し、「真の人間」になるのです。しかし忘れてはいけないのは、未熟なままに一生を終わってしまう人もいます。人生は、「真の人間になる」ための旅と言えます。旅人はあなた自身、他の人々は皆、同じ旅の仲間です。
わたしたちの社会は病んでいる。わたしたちも皆、病んでいます。その主な症状は自信の欠如です。だから、わたしたちは他の人より優れていることを自分自身に納得させるために、追加の属性を取得することに忙しい。基本的に、わたしたちは自分自身を信じていないので、常に他人からの承認を求めます。賞をもらうと幸せになります。そして、その賞はわたしたち自身のアイデンティティを決定するものになります。
人生の広さに気付く人もいれば、その高さに魅せられる人もいます。しかし、その深さに気付く人はほとんどいません。さらに、その深さに飛び込もうとする人は稀です。
わたしたちの多くは、人生のビーチでリラックスして座っている間に人生を通り抜けます。わたしたちは人生の素晴らしさを褒めるために哲学者、研究者、作家、詩人等になります。わたしたちは人生について語ったり、人生を表現するために詩を書いたり、論文を出したり、本を出版したりするが、人生そのものを実現したり、生きたりすることはあまりしないではないでしょうか。人生のビーチにいることは美しく、リラックスできます。しかし、水に飛び込んで、自由に泳ごうとしないのは残念です。真のダイバーたちは、泳ぐだけでは満足しません。彼らは生命の海に飛び込み、平凡な水泳選手が決して見つけられない経験という真珠を発見します。生命の海に飛び込む唯一の方法は、水に入って深くまで泳ぐことです。理論をマスターすることだけは無意味です。
「人生の最後に思い出すのは誰でしょうか」
それは、
あなたを救ってくれた人。
苦しい夜にそばにいてくれた人。
弱い自分を責めなかった人。
言葉より、
沈黙で支えてくれた人。
大きなことを何もしてくれなかった、
ただ隣にいた人。
その時間は宝物になります。
人は、
成功ではなく、
優しさを思い出します。
笑顔より、
涙を拭ってくれた手を思い出します。
忙しさ、仕事も、名誉も消えていきます。
最後に残るのは
「ありがとう」と言いたい相手。
その人がいるなら
人生はすでに幸せです。
「エマオへの旅」で希望を失った弟子たちに主イエス・キリストが寄り添ったように、わたしたちも日頃から希望を失った身近な人々を始め、多くの人々を大切にしながらこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。