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復活節第5主日 A年

「わたしの父の家には、住むところがたくさんある」と今日の福音書に書かれています。父の家とは故郷ではないでしょうか。故郷は、わたしにとって「父親」です。父親は数年前に亡くなりましたが、かつて彼に言われたことは、今でもはっきりと覚えています。
「あなたの人生の道が何であれ、故郷の家のドアはあなたのために開いたままです」
この言葉には二つの意味があると思います。一つは、あなたはいつまでも家族の息子です。司祭になっても、あなたへの愛は永遠に変わりません。宣教師としてどこに派遣されても、家族の絆は断つことができません。もうひとつは、「家」という意味です。場所としての家は、いつか消え失せるでしょう。しかし、気持ちとしての家は、どこにでもあることが分かります。
家は生まれた場所ではなく、暗闇に覆われている時に、光を見つける場所です。家は場所ではなく、そこに住む人々のことです。彼らがいなくなった家にあなたが戻ったとしても、それはもはや家ではありません。ホームシックを感じることは何も悪いことではありません。それは、あなたが幸せな家族から来ていることを意味します。家の太陽は、他の場所の太陽よりも暖かい。家はわたしたちの物語が始まるところです。社会は、咲いている花の茎から上の部分だけを欲しがり、根の部分には、全く関心を持ちません。しかし、家はわたしたちのすべてを大切にします。
人生の厳しさに打ちのめされ、深い悲しみの中で何夜眠ったか分かりません。しかし、わたしたちの人生がどんなに最悪であっても、故郷が、次の日から再び始めることを可能にします。
故郷は場所としていつかは消えます。親が故郷にいる限り、誰しも故郷に帰りたがるのです。いつか彼らが亡くなったら故郷に帰る理由もなくなるでしょう。故郷を離れて暮らす人にとって、故郷は生きがいと希望です。また、人間として正しく生きることができるようにしてくれるのも故郷です。この世の中で、一番安心安全な場所、一番美しい場所は故郷です。だから、誰でも故郷に戻りたがるのです。人間はたとえ全財産を失っても、帰る場としての故郷がある限り、誰しも新しい一歩を踏むことができる。故郷は生きてゆくために大きな支えとなっているからです。
ここにいるわたしたちにとっての故郷は「神のいるところです」。天国ではないでしょうか。天国のドアは、いつでもわたしたちのために開いたままであることを忘れないで下さい。
過去を振り向けば、人生は遥かに短くはかないものです。朝露のようなものです。朝に光り輝いて、昼間の風に吹かれて消えてしまいます。どんなに忙しくても、身近な人々、特に「家族や大切な人」などと過ごす時間を増やすことも忘れないで欲しい。彼らのためにも、よりよく良いことをしましょう。良いことをすることは良いことです。ですから、良いことをすることを絶対にやめないで下さい。運が良ければ、良い人々に出会えるでしょう。そうでなければ、良い人々があなたに見つけてくれるでしょう。神がわたしたち一人ひとりを天国に呼び戻すまで、良いことをし続けましょう。これらの思いでこの一週間の旅路に踏み出していきましょう。

2026 Catholic Ehocho

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